かおらべの過去

1982年8月10日 東京・中野生まれ。
アルコール依存症の父と共依存の母の間に出生。
兄弟はなくひとりっ子。

自分がなかった幼少期

完全なる機能不全家庭に生まれたアダルトチルドレン、だった(過去形)
優等生を演じて家庭の均衡を保ってきた。

10歳の時に両親が離婚するも、激しい共依存関係にあったためか
父親が母子寮に押しかけてきて退寮せざるを得なくなり、
離婚しているけれど同居するという奇妙な生活を2年間送る。

そんな中両親は東京・西荻窪に「びすとろ・DE・KAO」という洋風飲み屋をオープン。
店のカウンターの下でチャバネゴキブリと一緒に寝袋で眠り、
早朝の電車で小学校へ向かうという自宅不在の日々。

それでもその頃の友達3人とは今もつながっていて、
「小女子会」(こうなごかい)という会を折にふれて催している。

自由を獲得した中学・高校時代

小学校卒業を機に父と絶縁。
転居先を伝えずに引っ越して、東京・練馬へ。

中学時代は演劇部で老女・熟女の役を熱演し、好評を博す。
この時期に友人たちと同人活動をはじめる。
また、憧れの高校に行くために塾通いに精を出す。

その甲斐あって、無事第一志望の東京都立富士高等学校に入学。

通学経路は電車を3本も乗り継ぐという今考えると無謀なものだったけれど、さぼりながらもよく通った。
高1の2月、マクドナルドでアルバイトをはじめる。
これにハマりこんでしまい、平日夜・毎週末はバイトに明け暮れる。
さらに特技のイラストやパソコン操作を活かしてPOPづくりやマニュアルづくりに燃える。

どこか生き辛さを覚えてバイト代でカウンセリングを受けたりしながらも、やりがいのあるアルバイトに出会えて楽しい日々を送っていた。

受験生・高3の夏、担任は呆れた顔で「バイトやめなさい」と言った…。

#しかし受験終わるまで、とバイトを休んだら余計悪い方に遊び呆けたのでバイトは続けてた方が良かったと思う。

さらに自分らしさ爆発!大学・大学院時代

ギリギリの精神状態になりながらも、なんとか行きたい研究室がある中央大学理工学部に現役合格。

もともと数学が壊滅的にできない文系頭が食いっぱぐれないために情報系に進んだので、大学の数学の授業などでは苦労した。。。

学部3年、入学前から目標にしていたヒューマンメディア工学研究室に配属決定!

当初は学部で就職する予定だったが、教授のプッシュもあり大学院に進学することに。
#今考えると私学・理系で大学・大学院に進学させてくれた母には大いに感謝しなければなりませんね。

研究・アルバイトでシステム開発をする日々。楽しい!

大手電機メーカーに就職、そして人生の転機

大学院1年の冬、博士課程に進まないかということで教授と行き違いがあり、結局研究室を変えて大学院2年を迎えることに。

そして研究パートナーと共に応募した「未踏ソフトウェア創造事業」2006年度上期採択。
さらに大手電機メーカーの内定も獲得。

mixiで作っていた内定者コミュニティで非公式内定式を開催、80人の集客を成功させる。

その時の幹事仲間のひとりで、配属された事業本部が同じだった現在の夫と工場での現場研修中につきあいはじめ、2008年9月結婚。
ハネムーンベイビー(!)を授かり、2009年第1子出産。
夫は関西勤務、わたしは東京勤務の別居婚だったので、育休を契機に関西に転勤させてもらうことに。※ただし夫は定常的に宿泊出張する業態なので、週末婚は継続。。

そして神戸に転属が決定し、転勤、移住。

その後2011年第2子出産。産後3ヶ月で復職。

2012年、NPO法人マドレボニータ主催の「NECワーキングマザーサロン」第4期ファシリテーターを務める。

ゆるくはたらきたいという思い

このサロンのファシリテーターを務める中で、「母となってはたらく」といやというほど向き合うことになり、自分の働き方も考え直す機会となる。

今の会社は安定しているけれど、自分の技術力は強められない。
もっと外に向かって発信していけるような仕事がしたい!

と思い、ソフトウェア開発企業に転職するも、
連日の残業と休日出勤(自主的にやっている部分もあったけれど…)に
さすがに末子がまだ1歳だというのにこの状況はどうなのかと思い退職。

しばらく育児に専念するも、
「社会とつながっていたい」という思いが強く、
どうにかゆるくはたらけないだろうか?と試行錯誤しはじめ、現在に至る。