2人の息子たちが幼い時から、自分は「ドライな母親」だと思っていました。
ここでいうドライってどういうことかというと、
「子どもと自分は別の人間だから、同一視しないように気をつけていた」
ということを指しています。
妊娠中からずっと、自分に言い聞かせていました。
アドラー心理学風に言うと、子どもの課題と自分の課題を分けること、と言えるかもしれません。
そしてウェットはその逆で、混同してしまうことかな。
というとめっちゃエラソーですが、全然できていなかったという話をします。
長男が2022年4月、遠方の中学校に入学、寮に入りました。
いろんな方から言われました、「寂しくなるね」と。
めっちゃ寂しいです。
めっちゃ泣きました。
結局、自分と子どもの境界線を見失って、子どもが自分のように思っていたのかもしれないですね。
長男の入寮から1年たった今は、「離れて良かった」と思えるようになりました。
そう思うようになった一番のきっかけは、家に残っている小6次男との関係の変化でした。
次男は納戸を自分の部屋と定めて立てこもり、会話も激減。
何か聞いても「なんでもない」と答えるばかり。
心の距離ができてきているのを感じています。
正直、この変化を受けて、心が痛いと感じているので、ウェットだな。
同じ家にいてこんなに心の距離を感じるのなら、
いっそ物理的に遠くにいたほうが気持ちの上では楽だ。とまで思ってしまったのです。
親離れしつつあることは成長と思って、喜ぼう。
子どもが自分の世界を構築することを見守ろう。
「かまってもらえない」と叫ぶ自分の幼児性を手放して、文章を書くことに打ち込みたいと思います。
(参考記事:「夫に「暇を埋めてほしい」と願う自分の幼児性に喝」)
ちなみに長男の入寮直後に書いた「12歳の巣立ち」という文章がnoteにあります。
よかったら合わせて見てみてください。

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